こんにちは。
今日の復活思考法テーマは、前回に引き続き「嫌われる勇気@アドラー心理学」です。
日本におけるアドラー心理学の第一人者である岸見一郎先生の著書、「嫌われる勇気」はベストセラーになりましたから知っている人は多いと思います。
私も、この「嫌われる勇気」から、アドラーの教えを学ぶことで復活のヒントをもらいましたので紹介します。
今回、本書の「青年と哲人の対話」から抽出したキーワードは、「いま、ここを真剣に生きる」。
過去でも未来でもなく、「いま、ここ」を生きるとは?
Contents
自己肯定ではなく自己受容
哲人:わたしはアドラーの「大切なのはなにかが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」という言葉を紹介しました。覚えてますね?
青年:もちろんです。
哲人:大切なのは「与えられたものをどう使うか」です。「わたし」に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくことです。
青年:それは、もっとポジティブになって自己肯定感を強く持て、何事も前向きに考えろ、ということですか?
哲人:ことさらポジティブになって自分を肯定する必要はありません。自己肯定ではなく、自己受容です。
青年:自己肯定ではない、自己受容?
哲人:ええ、この両者には明確な違いがあります。自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結びつく発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。
哲人:一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。自らに嘘をつくものではありません。
中略
青年:ううむ、ポジティブなようにも聞こえるし、どこかネガティブな響きも持った話ですね。
哲人:そこでわたしは、「肯定的なあきらめ」という言葉を使っています。
青年:肯定的なあきらめ?
哲人:課題の分離もそうですが、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。
青年:・・・変えられるものと、変えられないもの。
哲人:ええ。交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして、変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと。それが自己受容です。
アドラーは、人前で自意識がブレーキをかけ、無邪気に振舞うことができないのは、ありのままの自分に自信を持てず、ありのままの自分による対人関係を回避しようとしてると考えます。
どうすれば良いかの答えは、前回もあった「自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになることだという。そこで必要なのが、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つ。
ここで出てくる自己受容というのは、ありのままの「このわたし」を受け入れること。
どこかで聞いたことがあると思ったら、まさに「アナと雪の女王」のエルサが自身の魔法の力により抱いていたコンプレックスから開放され新しい自分として前向きに歩いていくことを決意したあの歌です。
戸惑い傷つき 誰にも打ち明けられずに悩んでた それももうやめようありのままの姿見せるのよ ありのままに自分になるのどこまでやれるか 自分を試したいの そうよ変わるのよ私これでいいの 自分を好きになって これでいいの 自分を信じて光浴びながら 歩き出そう
信用と信頼は何が違うのか
青年:他者信頼。つまり他者を信じることですか?
哲人:ここでは「信じる」という言葉を信用と信頼に区別して考えます。まず、信用とは条件つきの話なんですね。コレに対して、対人関係の基礎は、「信用」ではなく「信頼」によって成立しているのだ、と考えるのがアドラー心理学の立場になります。
青年:その場合の信頼とは?
哲人:他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。
青年:無条件に信じる?また先生お得意の隣人愛ですか?
哲人:もちろん、いっさいの条件をつけることなく他者を信じていたら裏切られることもあります。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。
アドラー心理学では、「他者を無条件に信頼しなさい」と説いているわけではなく、無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」なのです。
そして、他者から裏切られることの恐怖を踏み越える勇気が自己受容でもあるといいます。
つまり、ありのままの自分を受け入れ、「自分ができること」と「自分にはできないこと」を見極めることさえできれば、裏切りが他者の課題であることも理解できるし、他者信頼に踏み込むことも難しくなくなるといっているのです。
もう一度整理すると、自己受容ができるからこそ、課題の分離ができ、裏切りをおそれることなく「他者信頼」することができる。ということです。
とてもシンプルですが、深い深い話のような気がします。
仕事の本質は他者への貢献
哲人:自分を受け入れることができて、なおかつ他者を信頼することができる。この場合、あなたにとっての他者とは、どんな存在になりますか?
青年:・・・仲間、ですか?
哲人:そのとおりです。もしも、他者が仲間であれば、自分の属する共同体に居場所を見出すことにつながってきます。「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができるわけです。
中略
哲人:もちろん、共同体感覚とは自己受容と他者信頼だけで得られるものではありません。そこには3つ目のキーワードである「他者貢献」が必要になってきます。
青年:他者貢献?
哲人:仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが「他者貢献」です。
青年:貢献とはつまり、自己犠牲の精神を見せて、周りの人に尽くしなさいと?
哲人:他者貢献が意味するところは、自己犠牲ではありません。つまり、他者貢献とは「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。
アドラーは、他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ「他者貢献」できるといいます。
さらに、他者貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。つまり「自己受容」することができると。
自己受容、他者信頼、他者貢献の3つは円環構造として結びついていることが分かります。
今この瞬間から幸せになれる
青年:先生は結局、幸福になれたのですか?
哲人:もちろん
青年:なぜそう断言できるのです?
哲人:人間にとって最大の不幸は自分を好きになれないことです。アドラーは、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。
青年:先ほどお話のあった他社貢献ですね?
哲人:ええ。そしてここが大切なのですが、この場合の他者貢献とは、目に見える貢献でなくともかまわないのです。
青年:目に見える貢献でなくともかまわない?
哲人:「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。
青年:ちょっと待ってください。だとすれば、先生の考える幸福とは・・・。
哲人:もうあなたもお気づきですよね?すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。
アドラーは、貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、結局は他者の望みどおりの人生を歩まざるをえない。いわゆる承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がないといいます。
幸福は対人関係における自由があってこそ感じるものであり、承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚を持てておらず、自己受容、他者信頼、他者貢献ができていないのです。
共同体感覚さえあれば、承認欲求が消えてなくなり、本来の「貢献感」が持てて幸福になれるということだ。
いま、ここに強烈なスポットライトを当てよ
青年:いいですか、先生は原因論を否定するなかで、過去を見つめることを否定しました。過去など存在しない、過去に意味はないのだと。しかし、いま自らの意思によって未来を変えることさえ否定しておられる。
哲人:当然のことではありませんか。いったいどこに問題があるのでしょう?
青年:なっ、なにをおっしゃいます!?
哲人:自分が劇場の舞台に立っている姿を想像してください。自分に強烈なスポットライトが当たっていれば、最前列さえ見えなくなるはずです。われわれの人生もまったく同じです。人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。いや、見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。
青年:強烈なスポットライト?
哲人:ええ。われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。
まさか、アドラー心理学が「いま、ここ」を真剣に生きることが大切なんだと、人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことだというとは思わなかったのが率直な感想です。
私たちは、日々の忙しさにかまけて、気付いたら過去の失敗を悔やんだり、未来の予定を心配したり、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、何か見えたつもりで生きている。
アドラーは、人生の意味とはなにか?人はなんのために生きるのか?という質問に、「一般的な人生の意味はない」と答えた。そして、「人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ」と言った。
やっぱりそうだ、さいごは「わたし」なんだ。
「わたし」が変われば、「世界」が変わる。わたし以外の誰も世界を変えてくれない。
だから、前を向いて、いま、ここを真剣に生きるんだ!
まとめ(今回の気付き)
- 自己受容というのは、ありのままの「このわたし」を受け入れること
- 自己受容ができるからこそ、課題の分離ができ、裏切りをおそれることなく「他者信頼」することができる。
- 他者貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。
- 共同体感覚さえあれば、承認欲求が消えてなくなり、本来の「貢献感」が持てて幸福になれる。
- 「わたし」が変われば、「世界」が変わる。わたし以外の誰も世界を変えてくれない。だから、前を向いて、いま、ここを真剣に生きるんだ!
以上、アドラーの教え「いま、ここを真剣に生きる!」いかがでしたか?
「嫌われる勇気」まだ読んでない人は是非とも読んでみてください!
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最後までお付き合い有難う御座います。
それでは、また次回。
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